初めての教師体験

私は大学で工学部電子工学科を卒業しましたが,そのあと教育学部編入学して2つの学部を卒業したことになります.教育学部に在籍していた当時,すでに工学部の学士の資格をもっていたので,大阪に新設された工業高校に常勤講師として務めるかたわら教育学部の授業を受けていました.

工業の学習指導要領には内容が4−5行の項目が書かれているだけで,教科書もない電子通信に関する新しい科目を担当することになったのですが,その科目の教科書を出版することになって当時の大阪府教育委員会の指導主事から依頼されてその一部を担当することになりました.学部卒でいきなり教科書を執筆するという大役だったのですが,依頼された理由は電子工学卒業だからもっとも新しいことを知っているだろうということでした.

その後,大学に工業教員養成所が新設されることになり,そこでの電気工学科の助手になったのですが,教授はすでに定年を間近に控えた方で新しい電子工学関係の実験を準備することができなかったので,一切の準備をしました.誰も直接指導して頂ける人はなく,いろいろと本を読んだり,他の大学の実験室にお邪魔したり,先の新設された工業高校の設備などを参考に整備していきました.

それ以来,京都教育大学での教育工学センターの新設,教育研究実践センターへの転換など新しいセンターの整備と準備などを経験しました.学会についても日本教育工学会,日本科学教育学会,日本教育実践学会の創設に参加する機会がありましたが,このような経験から学んだことは「自分の前に道はない,自分の後ろに道がある」ということを実感したことです.

最近の研究は,日本の教育の実態には早すぎるものなのでもっぱらヨーロッパを中心に発表しています.ヨーロッパの人たちが,授業料無償の高等教育を開拓しようとしていますが,学ぶことについての意識や制度がわが国とは大きく異なるのでしょう.わが国の大学生が少しでも自分から学ぶということを体験してほしいと授業設計にいろいろと苦しんでいるのですが,まだうまくいかないことが多いです.

しかし幸いなことにヨーロッパの研究者はよく理解してくれるので議論が楽しいです.まったく教授を必要とせず,メンターだけが学習支援をすれば円滑に進行するような授業を設計することはなかなか挑戦的な課題です.イタリアのボローニャに1088年に大学ができたときは,学生の組合のようなものだったということです.いまそのボローニァの精神に帰ることが試みられていますね.ボローニャ・プロセスという大プロジェクトです.