京都レッツラーン大学校の設立に向けて

京都レッツラーン大学校の実質的な活動が始まって,1か月が経過しました.その間,わが国の政権も目まぐるしく動いています.「コンクリートから人へ」ということでさまざまな政策が打ち出されています.一方,大学については来年度の入試に向けての活動も活発になってきましたが,なかなか将来の展望が困難な状況になってきています.

京都レッツラーン大学校は,大学教育ではカバーできないところを不公式・非公式学習(non-formal and informal learning)の視点からアプローチしようとしています.そのスタートにあたって,来年1月29日に国際フォーラムを開催することになりました.

OECDのパトリック・ヴェルキン氏PhDとフランス国立技術職業学院の高等専門部のアドバイザーをしているアンヌ-マリー・シャロー女史を招いての講演と,そのあとで討論形式で会合を進めることを企画していますが,後半についてはまだ流動的です.ヴェルキン氏は「教育格差と不公式・非公式学習(non-formal and informal learning)の認知−OECDの経験から」というテーマで講演して頂くことになっています.シャロー女史には「変動社会での雇用可能性の開発−ヨーロッパおよびフランスの職業教育訓練の経験から−」について話をして頂きます.

どこの国も雇用問題はきわめて深刻ですが,これは工業社会から情報社会へ,そして知価を重視する知識基盤社会へと移行するときに経験する変革なのでしょう.その変革でできるだけ不幸な人を生みだすことのないようにすることが教育に課せられた課題であると考えられます.「教える」ことを基盤にこれに対応しようとするとその教育費は莫大なものになります.一方,「学ぶ」ことを基盤に高度の専門教育を組織しようとすると,これまでの教えることを中心に展開してきた教育とはまったく異なる理念と技術とを必要とします.

今回の国際フォーラムの企画がそのような転換のきっかけになればと考えていますが,そのためには財政基盤を確立することが重要です.現在企画しているのはe-ラーニングを中心とした専門教育を提供し,2割の優待生は無料で,3割の奨学生には半額で,それ以外の人は全額で負担して頂けるような学習システムの財政のシミュレーションを試みています.やはり多人数でなければ実現できませんが,どこまで実用的なシステムを設計することができるかが私の仕事です.

これから本格的に取り組もうといているのですが,これには広く多くの人の参加が必要です.ぜひ積極的に参加して頂いて,学ぶことを基本とした高等教育がうまれることをめざそうではありませんか.

京都府と京都レッツラーン大学校の契約が成立

京都府の緊急雇用対策の一環として募集されていたNPO法人向けの提案型事業に「セイフティーネットとしての京都レッツラーン大学校」という事業名で応募していました.その採択が内定していたものの,いろいろな手続きで遅れていたのですが,やっと契約書を交わすことになりました.9月15日に契約書を提出しました.

専門の担当者を研究所の所員としてで雇用することとなり,いよいよその実現に向けて本格的に取り掛かれることになりました.この大学校はユネスコOECDが重視している公式外学習(non-formal learning)をベースとした学習組織であり,インターネット上に構築されるものです.本格的には2011年の開校を目指すことになりますが,従来の公式学習のように教育する側で組織されるものではなく,学習する側で組織し運営されるものです.そして学習内容はコンピュータとインターネットを活用してさまざまな知識にアクセスし,それを組織化する方法を習得して,独学,協学,遊学することを基本とするものです.ひとりで努力する独学,チームやグループ,職場仲間による協学(協働学習,協調学習など),さらに基礎的な能力は教育ゲームやマンガなどを教材とする遊学で学べばよいでしょう.こうした学習を中心としたものはスウェーデンのNet Universityやカナダのアサバスカ大学などがあります.習得した能力は,これからさらに発展が期待されているさまざまな職能をあらわす資格検定などで証明することになります.

大学が1088年にイタリアのポローニァで学生の協同組合として始まった時は,学長も学生の中から選ばれていたということです.スウェーデンの高等教育の評価局でも評価委員会の委員の3分の1は学生ですから,とくに珍しいことではありません.教育を教育する側に権限をもたせるのか,学習権を認めて学習する側におくのかはそれぞれの国によって考え方が違っています.わが国の大学による公式学習にはあまりにも多くの経費を国民が負担することになっています.宣伝広告や見栄えのする立派な施設も授業料で賄われているところが大きいですが,そのような傾向については元ハーバード大学のデリック・ボック氏による「商業化する大学」として紹介されています.金融資本の立場からの人材(human resource)を育成(development)するために授業料で分担するという考え方にたいして,文化資本や人的資本(human capital)の立場から社会的貢献を期待して人財に投資(inverstment)するという立場からの考え方ですが,その利潤は修了生による社会的貢献というものです.そのことについては先の学習基本宣言を参照して下さい.

わが国の教育基本法は教育する側の論理で構成されていますが,お隣の韓国では教育基本法の第3条には学習権の規定がありますから,このような視点からみると,わが国は教育発展途上国です.この京都レッツラーン大学校は教授はおりませんから,学習者が組織する大学校であるといえますが,公的資金や市民や企業からの寄付で賄われる予定ですので,当然その関係者が経営と運営とに参加することになります.

今年度の主な事業はOECDの専門官であるPatrick Werquin氏を招いて「教育格差と公式外学習」というテーマで,そしてフランスの国立専門職資格センターのAnne-Marie Charraud女史には雇用と労働移動の問題について講演して頂く予定ですが,女史の明確なテーマの設定については現在協議中です.また,今年度中に京都府下の失業者や生活保護世帯の実態調査をする予定です.

ドイツでの研究交流

パリのOECDでの打ち合わせと,ベルリンでの日独共同シンポジュウムならびにワークショップに参加するために9月6日から13日まで渡欧しました.OECDでは来年早々に開催を予定している国際フォーラムでの日程とテーマについてOECDのパトリック・ベルキン氏とフランスのアンヌ-マリ・シャロー女史と打ち合わせをして,そのあとベルリンでの会合に参加しました.

ドイツでは私は日本における大学の授業料の高騰,失業者,生活保護世帯,外国人労働者の増加の状況などに対応するために発足する「京都レッツラーン大学校」の構想を紹介しました.文部科学省生涯学習局の齊藤参事からはわが国の労働力の未来予測がきわめて厳しい状況にあることが紹介された後の発表でしたので,文脈の理解は得られたと思います.

京都レッツラーン大学校は失業者,生活保護世帯,厚生労働省の定義する第Ⅰ五分位階級(平成17年度で209万円以下の所得),外国人労働者などの生活困窮者を新職能人財(New Professional Human Capital)と定義して,この人々が独学と協学(協調学習,協働学習など)で高等専門教育に相当する職能を習得することを目指して投資する学習組織です.従来の人材(Human Resource)の視点ではなく,人財(Human Capital)とみなして,将来への社会投資とみる学習組織であることが特徴です.おもにeラーニングと呼ばれるコンピュータとインターネットを通じて学習する方式を採用した校舎をもたない仮想の大学校です.これに近いものはスウェーデンのNet Universityを挙げることができるでしょう.

ドイツの日独共同の会合では,ドイツ側から自己調整学習(Self Regulated Learning)の発表が多かったのが注目されます.ドイツもやはり外国人労働者の割合が多く,その専門性を高めるための自己学習による教育訓練を重視していて,大学でもそのような教育の取り組みがなされていることは注目されます.わが国の大学が自分のところの生き残りをかけてオープンキャンパスで豪華な施設と設備を誇示したり,派手な宣伝に多額の経費を投入しているのとは大きな違いです.庶民の生活を無視して富裕層に媚を売っているわが国の大学は,将来どの程度のものが生き残れるのでしょうか.高度専門教育もインターネット上で実現できる時代になっていることを,もうぼつぼつ理解すべきでしょう.キャンパス教育が教育格差を生んでいるという実態に気づくときがきているように思えます.

福祉国家は危ない綱渡り

8月末の衆議院選挙で政権が移動することになりました。このことはわが国の議会政治史で特筆すべき出来事です。これまでの自公連立から民主党の主導による革新勢力の政治に転換されることになりました。

これで福祉関係の事業が拡大するでしょうし、さまざまな手当や給付金が支給されるような状況です。かつて福祉国家を目指したヨーロッパ諸国は、1960-70年代に財政破綻をしかねない状況まで国家財政が追いつめられました。その頃にストックホルムを訪れたことがありますが、大変暗い感じであまり良い印象はありませんでした。

しかし最近訪れると大変明るくたくさんの子どもを見かけます。福祉国家財政破綻に陥ったときに生まれたのが生涯学習ということと生涯スポーツの2つの概念でした.死ぬまで社会で活躍し,できるだけさまざまな福祉給付金を受けなくとも元気に過ごせるようにすることです.そのために高等教育段階まで無償で学習できるような環境を整えようとしているのですが,わが国ではこのようなセイフティーネットの構築が遅れているので,現状のままで福祉政策を拡大すると財政破綻に陥るおそれがあります.

これまで生涯学習というと定年後の老後の余暇を楽しむためのコースが多いのですが,現在ヨーロッパ諸国が取り組んでいるのは変動社会での雇用性確保ならびにEU統合後のヨーロッパ域内での自由な移動にともなう労働移動性を支えるための各種の職能資格の整備などです.このような実務可能な専門能力を習得するための学習環境を整備しているのが現在のヨーロッパの生涯学習社会の政策です.

韓国とフランスの教育基本法

先に教育基本法に対して学習基本宣言を考えてみてはと提案しましたが、教育基本法は他の国ではどのようになっているのでしょうか。韓国とフランスの教育基本法についても文部科学省のホームページからアクセスできたので、その一部を紹介します。

韓国教育基本法
1997.12.13 法律第5437号
第1章 総則
第1条(目的) この法律は,教育に関する国民の権利・義務と国家及び地方自治団体の責任を定め,教育制度及びその運営に関する基本的事項を規定することを目的とする。

第2条(教育理念)教育は弘益人間の理念のもと,すべての国民をして,人格を陶冶し,自主的な生活能力と民主市民として必要な資質を備えるようにし,人間らしい生活を営むべく,民主国家の発展と人類共栄の理想を実現することに寄与することを目的とする。

第3条(学習権)すべて国民は,生涯にわたり学習し,能力と適性によって教育を受ける権利を持つ。

第4条(教育の機会均等)すべて国民は,性別,宗教,信念,社会的身分,経済的地位,又は身体的条件等を理由に教育において差別されない。

第5条 (教育の自主性等)
①国家及び地方自治団体は,教育の自主性及び専門性を保障しなければならず,地域の実情に合った教育の実施のための施策を樹立・実施しなければならない。

②学校運営の自律性は尊重され,教職員・学生・保護者及び地域住民等は法令の定めるところにより,学校運営に参加することができる。

以上のようになっています。第2条では「自主的な生活能力と民主市民として必要な資質を備えるようにし、人間らしい生活を営むべく」となっていて国民の生活の視点から規定されています。また第3条では学習権をきっちりと規定してまいす。また、第5条では教育の自主性と専門性を保障することを定めています。

ではフランスの教育基本法はどうでしょうか。

1989年7月10日付け教育基本法(ジョスパン法)
第1条
教育は,国の最優先課題である。教育という公役務は,生徒及び学生を中心に置いて構想され組織される。それは機会の均等に貢献するものである。
人格の発達,初期教育・継続教育の水準の向上,社会生活・職業生活への参加,及び市民としての権利の行使を可能にするため,教育を受ける権利は各個人に保障される。

第1条はさらに続くのですが、フランスは1989年の時点で「生徒及び学生を中心において構想され組織される」ことになりました。

わが国の教育基本法には学習権という文言も生活能力という視点もありません。「職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと」となっていますが、勤労を望んでもそれができない時代であるということの認識はまったくないのでしょうか。あまりにもピント外れの教育基本法であるといってもよいでしょう。

学ぶことと食べること

このところ,年に1−2回はヨーロッパを訪れています.最近では,6月初旬にポーランドのグダンスクで開催されたEDEN(European Distance and E-Learning Network)の会合に出席して最近の研究の状況を報告しました.グダンスクはポーランドソビエト専制の束縛から自由になることを目指して,ワレサが中心となって連帯を組織して闘った発祥の地です.その詳しい状況はインターネットから探ればいろいろな情報が得られるのでそちらにゆだねますが,今なお残る武力による弾圧の跡を見るにつけ,ヨーロッパで自由に生きるということの貴重さを実感します.

わが国ではさまざまな格差が拡大していることが指摘されていますが,日常生活でそれを強く感じることはあまりありません.生活保護世帯が増えていること,ジニ係数にまだ減少の兆しがみえないことなどがありながら,生涯教育講座や生涯学習プログラムなどのテーマをみるとまったく教養的なものが並んでいて,「生活するための職能専門学習」という点ではあまりインパクトが感じられないのはなぜなのでしょうか.

ポーランドでの発表を終えてパリに回り,CESIという高等技術専門学校に相当する教育機関を訪れて,フランスがなぜ,どのように初期高等教育(25才以下)を無償にしているのかをいろいろと訊ねてみました.フランスでは1919年のAstier法で見習制度の無償化が始まっているのですが,それが1987年には高等教育に相当するところまで拡張され,2004年には専門職化契約が定められて,企業が約50パーセント,地方公共団体が約45パーセントの費用を負担し,国は4パーセント,市民は1−2パーセントの負担で初期専門職の学習ができるようになりました.この割合は地域や専門分野などによって異なっていて複雑でよく分からないということでした.この年齢制限が26才未満です.したがって大学や各種の専門学校もこの年齢範囲で授業料は無償です.

フランスでは多くの博物館はこの年齢まで無料で,外国人観光客の多いループル博物館のようにところは金曜日の夜間開館だけが無料です.すく近くのナポレオンの墓のあるアンバリッドの軍事歴史博物館は常時26才未満は無料です.エッフェル塔は24才が境界で料金が異なりますが.

このような若者への大規模な補助政策は,国が行っているのではなく,企業と地域社会とが中心になって実施しているものであって,それは人的資本(Human capital)に対する「未来への投資」であるという考え方です.フランスも中央集権の強い国ですが,そのためにいつも地方分権が叫ばれ,私立高等教育もまた地域社会と企業とが協力して実施しているのです.戦後,フランスも経済復興を遂げるためにさまざまな企業改革を実施したのですが,そのときにアメリカの経営方法を視察しておおきな刺激を受けました.アメリカの企業内訓練TWI(Training Within Industry)に感銘したのですが,それをフランス流に企業協同訓練(Training With Industry)と解釈したところがフランス人の面目躍如たるところでしょう.さらに今回訪れたCESIには修士課程と博士課程が中心の情報技術のコースがあるのですが,この教育機関は独学者が集まってスタートしているところが興味深いです.学ぶことが生活に密着しているのはヨーロッパ社会の共通した特徴でしょうか.

日本人は教養が好きですが,ヨーロッパ人は食べることに真剣なのかも知れません.フランスを文化の国であるといいますが,むしろ食べること生活することに真剣な国であるというのが私の印象です.過去の過酷な専制王朝時代に築き上げた富を文化と称していますが,いまはそれを生きるための糧としている国です.フランス人だれもが文化人であるなどとはとんでもない幻想です.あるフランス人が本当のフランス料理を紹介しようと連れて行ってくれたのは,豆と筋肉をぐつぐつ煮込んだ農民の食事でした.私が最初に教育におけるコンピュータ導入の事例をパリで見たのは,他国籍の子どもたちのために小学校の地下室に設置されたパソコンでした.しかも放課後の夜間に子どもたちを集めて補習学習のために使用していました.ユダヤ人住民の多いパリ郊外地域での高校の校長先生が,基礎学力をどのように高めるかについてコンピュータの活用を熱っぽく語っていたのが印象的です.

教育基本法と学習基本宣言

わが国の大学では,現在,授業改善を図るためにFDと称される運動が推進されています.授業の教育効果を高めるために,教授法の改善が行われているのです.なかには「板書は分かりやすかったか」とか「説明ははっきと聞き取れたか」といった小学校の授業改善で用いられているような項目すらあります.

一方,ヨーロッパでは欧州高等教育圏を形成して,ヨーロッパ全域での欧州単位互換制度(ECTS, European Credit Transfer System)を実現しつつあります.そのときの単位互換の基準となっているのは学習成果(learning outcomes)です.何を教えたかではなく,何を学んだかについて在学した大学での学習成果を記述することによって単位認証を実現しようとしています.

ところで,わが国の学校教育や大学教育で,学習者主体の授業を実現しようとすると,さまざな障害があってなかなか困難です.その根本には教育と学習についての考え方の違いがあるからでしょう.

わが国の学校教育や大学教育の基本となっているのは教育基本法ですが,その第一条から第三条まではつぎのように規定されています.

教育基本法
第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
生涯学習の理念)
第三条  国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。


以上の考え方は,教育を行う立場からのものですが,自律学習を実現しようとすると,教育する人は存在しないのですから学習者の立場から基本的考え方を宣言する必要があります.そのような高等教育機関を自律学習大学校と呼ぶことにしましょう.そこでその基本的な立場を宣言してみるとつぎのようになるでしょう.

自律学習大学校の学習基本宣言
自律学習大学校は,公的資金ならびに寄付によって運営されるので,学生はつぎのような学習の目的ならびに理念を理解して学ぶことを宣言する。

第一章 学習の目的及び理念
(学習の目的)
第一条 学習は、変動社会において人間の尊厳を尊重しながら生活を安定させるために,変化する専門的職業に対応してたえず新しい職能を習得することを目的とする。
  二 学習は,社会に貢献することを目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を習得することを目的とする。
(学習の目標)
第一条 学習は、その目的を実現するため、人間としての尊厳と学習権を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われる。
  一 個人の学習権を尊重し、その能力を伸ばして創造性を発揮し、自主及び自律の精神に基づいて、職業及び生活との関連を重視した専門的知識と技能を習得する
  二 幅広い知識と教養を身に付け、平和と共生を希求する態度を身につけ、職業倫理を尊重するとともに、健康な生活が享受できるように身体を鍛える。
  三 公平と責任、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与できる能力を習得する
  四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与できる態度と能力を習得する。
  五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、国際社会の平和と発展に寄与できる態度と能力を習得する。

生涯学習の理念)
第三条  国民一人一人が、変動する社会にあって,安定した人生を送ることができるよう、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる生涯学習社会を実現するために自律学習の普及に努める。


以上のような自律学習大学校の入学資格は,現行の大学の混乱を避けるためにつぎのように限定すべきかも知れません.

(入学資格)
第四条  本大学に入学できるものはつぎの条件を満たす者である.
  一  失業保険受給者およびその家族
  二  生活保護世帯の世帯主およびその家族
  三  厚生労働省の五分位階級別の所得による第1階級の世帯主およびその家族
  四  厚生労働省が規定する外国人労働者で上記の項目に該当する世帯主およびその家族
  五  その他上記の項目に準ずる者