京都府と京都レッツラーン大学校の契約が成立

京都府の緊急雇用対策の一環として募集されていたNPO法人向けの提案型事業に「セイフティーネットとしての京都レッツラーン大学校」という事業名で応募していました.その採択が内定していたものの,いろいろな手続きで遅れていたのですが,やっと契約書を交わすことになりました.9月15日に契約書を提出しました.

専門の担当者を研究所の所員としてで雇用することとなり,いよいよその実現に向けて本格的に取り掛かれることになりました.この大学校はユネスコOECDが重視している公式外学習(non-formal learning)をベースとした学習組織であり,インターネット上に構築されるものです.本格的には2011年の開校を目指すことになりますが,従来の公式学習のように教育する側で組織されるものではなく,学習する側で組織し運営されるものです.そして学習内容はコンピュータとインターネットを活用してさまざまな知識にアクセスし,それを組織化する方法を習得して,独学,協学,遊学することを基本とするものです.ひとりで努力する独学,チームやグループ,職場仲間による協学(協働学習,協調学習など),さらに基礎的な能力は教育ゲームやマンガなどを教材とする遊学で学べばよいでしょう.こうした学習を中心としたものはスウェーデンのNet Universityやカナダのアサバスカ大学などがあります.習得した能力は,これからさらに発展が期待されているさまざまな職能をあらわす資格検定などで証明することになります.

大学が1088年にイタリアのポローニァで学生の協同組合として始まった時は,学長も学生の中から選ばれていたということです.スウェーデンの高等教育の評価局でも評価委員会の委員の3分の1は学生ですから,とくに珍しいことではありません.教育を教育する側に権限をもたせるのか,学習権を認めて学習する側におくのかはそれぞれの国によって考え方が違っています.わが国の大学による公式学習にはあまりにも多くの経費を国民が負担することになっています.宣伝広告や見栄えのする立派な施設も授業料で賄われているところが大きいですが,そのような傾向については元ハーバード大学のデリック・ボック氏による「商業化する大学」として紹介されています.金融資本の立場からの人材(human resource)を育成(development)するために授業料で分担するという考え方にたいして,文化資本や人的資本(human capital)の立場から社会的貢献を期待して人財に投資(inverstment)するという立場からの考え方ですが,その利潤は修了生による社会的貢献というものです.そのことについては先の学習基本宣言を参照して下さい.

わが国の教育基本法は教育する側の論理で構成されていますが,お隣の韓国では教育基本法の第3条には学習権の規定がありますから,このような視点からみると,わが国は教育発展途上国です.この京都レッツラーン大学校は教授はおりませんから,学習者が組織する大学校であるといえますが,公的資金や市民や企業からの寄付で賄われる予定ですので,当然その関係者が経営と運営とに参加することになります.

今年度の主な事業はOECDの専門官であるPatrick Werquin氏を招いて「教育格差と公式外学習」というテーマで,そしてフランスの国立専門職資格センターのAnne-Marie Charraud女史には雇用と労働移動の問題について講演して頂く予定ですが,女史の明確なテーマの設定については現在協議中です.また,今年度中に京都府下の失業者や生活保護世帯の実態調査をする予定です.