ドイツでの研究交流

パリのOECDでの打ち合わせと,ベルリンでの日独共同シンポジュウムならびにワークショップに参加するために9月6日から13日まで渡欧しました.OECDでは来年早々に開催を予定している国際フォーラムでの日程とテーマについてOECDのパトリック・ベルキン氏とフランスのアンヌ-マリ・シャロー女史と打ち合わせをして,そのあとベルリンでの会合に参加しました.

ドイツでは私は日本における大学の授業料の高騰,失業者,生活保護世帯,外国人労働者の増加の状況などに対応するために発足する「京都レッツラーン大学校」の構想を紹介しました.文部科学省生涯学習局の齊藤参事からはわが国の労働力の未来予測がきわめて厳しい状況にあることが紹介された後の発表でしたので,文脈の理解は得られたと思います.

京都レッツラーン大学校は失業者,生活保護世帯,厚生労働省の定義する第Ⅰ五分位階級(平成17年度で209万円以下の所得),外国人労働者などの生活困窮者を新職能人財(New Professional Human Capital)と定義して,この人々が独学と協学(協調学習,協働学習など)で高等専門教育に相当する職能を習得することを目指して投資する学習組織です.従来の人材(Human Resource)の視点ではなく,人財(Human Capital)とみなして,将来への社会投資とみる学習組織であることが特徴です.おもにeラーニングと呼ばれるコンピュータとインターネットを通じて学習する方式を採用した校舎をもたない仮想の大学校です.これに近いものはスウェーデンのNet Universityを挙げることができるでしょう.

ドイツの日独共同の会合では,ドイツ側から自己調整学習(Self Regulated Learning)の発表が多かったのが注目されます.ドイツもやはり外国人労働者の割合が多く,その専門性を高めるための自己学習による教育訓練を重視していて,大学でもそのような教育の取り組みがなされていることは注目されます.わが国の大学が自分のところの生き残りをかけてオープンキャンパスで豪華な施設と設備を誇示したり,派手な宣伝に多額の経費を投入しているのとは大きな違いです.庶民の生活を無視して富裕層に媚を売っているわが国の大学は,将来どの程度のものが生き残れるのでしょうか.高度専門教育もインターネット上で実現できる時代になっていることを,もうぼつぼつ理解すべきでしょう.キャンパス教育が教育格差を生んでいるという実態に気づくときがきているように思えます.