学ぶことと食べること

このところ,年に1−2回はヨーロッパを訪れています.最近では,6月初旬にポーランドのグダンスクで開催されたEDEN(European Distance and E-Learning Network)の会合に出席して最近の研究の状況を報告しました.グダンスクはポーランドソビエト専制の束縛から自由になることを目指して,ワレサが中心となって連帯を組織して闘った発祥の地です.その詳しい状況はインターネットから探ればいろいろな情報が得られるのでそちらにゆだねますが,今なお残る武力による弾圧の跡を見るにつけ,ヨーロッパで自由に生きるということの貴重さを実感します.

わが国ではさまざまな格差が拡大していることが指摘されていますが,日常生活でそれを強く感じることはあまりありません.生活保護世帯が増えていること,ジニ係数にまだ減少の兆しがみえないことなどがありながら,生涯教育講座や生涯学習プログラムなどのテーマをみるとまったく教養的なものが並んでいて,「生活するための職能専門学習」という点ではあまりインパクトが感じられないのはなぜなのでしょうか.

ポーランドでの発表を終えてパリに回り,CESIという高等技術専門学校に相当する教育機関を訪れて,フランスがなぜ,どのように初期高等教育(25才以下)を無償にしているのかをいろいろと訊ねてみました.フランスでは1919年のAstier法で見習制度の無償化が始まっているのですが,それが1987年には高等教育に相当するところまで拡張され,2004年には専門職化契約が定められて,企業が約50パーセント,地方公共団体が約45パーセントの費用を負担し,国は4パーセント,市民は1−2パーセントの負担で初期専門職の学習ができるようになりました.この割合は地域や専門分野などによって異なっていて複雑でよく分からないということでした.この年齢制限が26才未満です.したがって大学や各種の専門学校もこの年齢範囲で授業料は無償です.

フランスでは多くの博物館はこの年齢まで無料で,外国人観光客の多いループル博物館のようにところは金曜日の夜間開館だけが無料です.すく近くのナポレオンの墓のあるアンバリッドの軍事歴史博物館は常時26才未満は無料です.エッフェル塔は24才が境界で料金が異なりますが.

このような若者への大規模な補助政策は,国が行っているのではなく,企業と地域社会とが中心になって実施しているものであって,それは人的資本(Human capital)に対する「未来への投資」であるという考え方です.フランスも中央集権の強い国ですが,そのためにいつも地方分権が叫ばれ,私立高等教育もまた地域社会と企業とが協力して実施しているのです.戦後,フランスも経済復興を遂げるためにさまざまな企業改革を実施したのですが,そのときにアメリカの経営方法を視察しておおきな刺激を受けました.アメリカの企業内訓練TWI(Training Within Industry)に感銘したのですが,それをフランス流に企業協同訓練(Training With Industry)と解釈したところがフランス人の面目躍如たるところでしょう.さらに今回訪れたCESIには修士課程と博士課程が中心の情報技術のコースがあるのですが,この教育機関は独学者が集まってスタートしているところが興味深いです.学ぶことが生活に密着しているのはヨーロッパ社会の共通した特徴でしょうか.

日本人は教養が好きですが,ヨーロッパ人は食べることに真剣なのかも知れません.フランスを文化の国であるといいますが,むしろ食べること生活することに真剣な国であるというのが私の印象です.過去の過酷な専制王朝時代に築き上げた富を文化と称していますが,いまはそれを生きるための糧としている国です.フランス人だれもが文化人であるなどとはとんでもない幻想です.あるフランス人が本当のフランス料理を紹介しようと連れて行ってくれたのは,豆と筋肉をぐつぐつ煮込んだ農民の食事でした.私が最初に教育におけるコンピュータ導入の事例をパリで見たのは,他国籍の子どもたちのために小学校の地下室に設置されたパソコンでした.しかも放課後の夜間に子どもたちを集めて補習学習のために使用していました.ユダヤ人住民の多いパリ郊外地域での高校の校長先生が,基礎学力をどのように高めるかについてコンピュータの活用を熱っぽく語っていたのが印象的です.